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■ 昨日のどれみは変身しなかった。 なんだか全編とても良い雰囲気だった。 「未来さん」のおっとりした感じ、声も声優っぽくないなーと思って、 エンディングクレジットに注意してたらやはり! 原田知世さんでしたよ。 いつもならどれみは次週のハリケンで上書きするんだが、 今回のはとっとこうかなあ。
■ うはっ、こういう感想がくるか。おれってもうオジさんなのね……(あたりまえ)。 MMLとかいうやつだっけ。 個人的にはループが導入されたあたりからついていけなくなった。 いや違う、MIDIが出てきたころからPCで音楽をプログラムしなくなったんだな。
■ 今週のどれみはやっぱり各地でいい評判が聞けてるみたいだなー。 わが家では毎週ハリケン〜龍騎からの流れで90分録画するんで、 どれみは見ないまま翌週上書きしてしまうことも多い。 最初のうちはいつものように「どれみ見てないなら消すよ!」 「見てるー(と言いつつ手はハリケンのおもちゃで遊んでる)」という 光景がくり広げられていたのだが、そのうち親が2人とも見入ってしまっていた。
■ その、やけにT-Coderを主張している誤字(中間→中問)はわざとかな。 いや、この文を打ってみてわかった。 間と問はストロークも似ている(というよりソックリだ!)から、単に間違えたんだろう、きっと。 ……いかんいかん。「この字とこの字は間違えやすい」と意識してしまうと、 余計混乱しやすいんだった。弟子に意識させてしまっては師匠としてダメダメっす。
■ 「I can't blog」だそうです。面白かった。 最初、各地で「言いすぎ?」な人達へのリンクばっかし見たんで、 「素人の素直な感動は大事にしてあげようよ」とか書こうと思ってたんだけど、まあいいや。 ちゃんと「研究」してくれれば、発端が恥さらしでもいいとは思うんだけど。
■
あーおいらも変更するかのう。
「shellが外から使えんのでは意味ないぞ、ゴルァ!」とメールしたのが10月15日。
10月16日に「制限続行・shellサービス中止・有料化し機材増強などの方法を検討中、しばし待たれい」てな返事をもらったまま放置されてるしな。
……しまった。毎月10日までに申し込まんとあかんのか。今日はもう12日だ。
う、200円コースにするとWebコンテンツも引越か。むむー。
■ たけむらセンセイ、ものすごいリンク数でそうとうマイってるみたいね。 くれぐれも/.-jpなんかでさらしたりしないようにね(もう遅いか?)。 さっき、
ちょっとリンク張られたくらいで「bashing?」とか言うあたり、 まだ「インターネットする」ようになってから日が浅いみたいだし。って書きかけて消したんだが、現在の状況はすでに立派にバッシングになってるかも。
■
後輩が「ルービックキューブが解けた!」とか「(けん玉の)とめけんができた!」と言ってはしゃいでいたら、
まずほめてやらなくてはいけない。
がんばったこと、面白さを発見したこと、成功の喜びをたたえなければ。
自分が同じことを1年以上練習していて、そのずっと先の技術を持っていても。
いきなりふりけんや灯台をして見せ、「ふふん」とやるのは、
自分のエゴのためであって相手の将来のためではない。
しかしまあ、「おれってキューブが1分で解けるんだぜ。
なあなあ、おれって日本一?」などと言い出すようだと、
小一時間問い詰めてもよいだろう。
■ ここから、joi.itoさんの英語ページへ。 日本人が面と向って何か言うより、陰口に走りがちという話は耳が痛い。 それは実際真実だと思う。 先行者達が後発者達を疎ましく思うのも真実。 たくさん努力してきたという自負がある分、 ただはしゃいでるだけのやつらが気にさわるというのも。
■ ただ、それらの「現象」に目をとらわれていると本質がわからなくなる。 問題はblogger達が「blog」と「日本のWeb日記コミュニティー」の違いを正しく示せていないことだ。 negative commentsに見えるもののいくつかは、 古いものを知らなければ「違い」がわかるはずもないということを指摘していた。 そしてjoiさんとか武邑さんの記述からは古いものを知らないように見えた。 知っていれば、崎山くんのコメントのような書き方ができたと思うし、 それなら「バッシング」にはなんなかったんじゃないかな。 最近のblogツールはよくできているようだから、 古い「日記者テクノロジー」の良さを吸収してシステムに反映するのは簡単だと思う (「joiさんの11/12のblogに崎山くんが書いたコメントのURL」がほしかった)。
■ blogとWeb日記リンク群の違いが、技術より上のレベルの文化の違いなのかどうかは、 研究する価値があると思う。 十分な研究や考察がないまま「〜気がします」と言ってのけるのは、 無知をさらしているか、迂闊なのか、あるいはセンスがいいのか、どれだろう。 Web日記リンク型文化はblogと違って、 一人分の日記だけ見ていたのでは本質は見えず、 相互に張りめぐらされたリンクネットワーク全体で見ないとわからない。 それが弱点でもある。
■ ……てなことを、崎山くんのコメントを読んだ後で書いて、 joiさんのblogにコメントとして書こうかと思って、 結局やめて全部消してしまった。 今もういちど書き直して、「音ゲー日記」なんてところにこれを載せているけど、 「陰口」のつもりではない。 「コメントを書く」ための方法として、 「blogのコメント機能」と「Web日記上のリンク」の2つの方法があり、 自分にとって便利な方法を選んだにすぎない。 単純に選択の問題なんだけど、古い文化にしがみついてるようにも見えるだろう。
■ 蛇足ながら、joiさんが先行勢力と後発勢力の間の軋轢の例として FSF的フリーソフトウェアとオープンソースを出ているけど、 それも現象に目をくらまされているような気がする。 フリーソフトウェアとオープンソースとは異なる概念であって、 異なるがゆえに区別されなければならない。 古いコミュニティーがひがんで引っ込んでいると思ってしまうと、 概念の違いに気づかなくなってしまう危険がある。 釈迦に説法だったらごめんなさい。
■ とか言いながら、おいらは2ch的荒らし、煽り、茶々、 日本人的陰口も大好きな人間なので、 そこらへん差し引いて読んでください(わら
■
初めてのパソコン。
マイコンでした。パソでなく(笑)。
秋葉原のBit-INNで展示機のTK-80BS LEVEL1 BASICでゲーム組んだりしてた。
小学校5年生のときかな?
「プログラム」という概念を知ったのはそれよりもう少し(1年? 2年?)前、
ラジオの製作でTK-80マシン語講座みたいな連載があったのを読んで。
手元に実機がないので、当然ながらハンドアセンブル、ハンドトレースの世界。
子供ってのは、こういう単純作業を飽きずにくり返せるのですね。
電子ブロックの論理回路例題から初まって
half adderとかfull adderとかの論理トレースとかやってて、
親は「こいつ自閉症じゃないか」と心配した程だったらしい(汗)。
さすがにcarry look-aheadなんて概念は知らなかった。
中学1年になってTK-80Eを買ってもらったのが、初めての「自分のマイコン」。
当時で電源装置込みで10万円くらいだったから、
親はかなり張り込んでくれたんだな(と今になってわかる)。
■ ……ってここまで書いて、以前にも書いた気がしたと思ったら、 2001年12月ごろ、電子ブロック復活の話で書いてた。
■
中学・高校時代は、家で拡張TK-80E(BSなし)、
マイコンショップのデモ機でN80-BASIC、N88-BASIC、N88-BASIC(86)、
物理準備室のPC98でCP/M86とOptimizing C86てな感じ。
TK-80では8253を2個使って音源ボード作ったり、
Game80+アセンブラで組んだマージャンとかやったり、
フルキーはあるのにCRTがなく7セグLEDだけという変な構成で遊んでた。
7セグでマージャンやったことある人は少ないと思う。
L-Kit16でやった人いないかな?
大学生のときはCP/M-68kとかMS-DOS 2.11とかだったかな。
ファイル圧縮ツールarcとかcompressにびっくりしたのもこのころ。
大学コンピュータサークル連盟(ICCC)なんてところの会長とかやってたら、
近コン連の山本(今は日コン連)とか、
かまたさん(後にDoGAを作った人)とかと知りあったり、
SHARPがX68kを出すってんでサークルで借りるチャンスが到来。
学部に上がって、学校ではUNIXとかemacsとかTeXとかmailとかnewsとかを使い出す。
家では文豪mini5にモデムつけてASCII-Net PCSに行ったりしてた。
■
Human68k上でgcc(cond版)が動いた!ってんで斎藤靖くんとTeXを移植、
SHARPから借りた部室のX68kでコンパイルしてたな。
まず斎藤くん謹製のpascal2cをコンパイル、
tangle済のtangle.pをp2cにかけてtangle.cを作り、
gccでtangle.xにして、
tex.webをtangleってp2cにかけてコンパイルしてinitexする。
ccがなくてcccpとかcc1とかasとかを順に実行、makeがなくてbatでやってたかもしれない。
ちょっとよく覚えてない。Human68kのmake.xでやってたかも??
蛇足ながら、なんでpascal2cなんてもの使ってたかって言うと、
まだctangleとかctexとかがなかったころだから。
UNIX上でのTeXのコンパイルは先生も相当苦労してたみたいだ。
ここらへん詳しく知りたい人はTeX, The Programでも読んでみてくらさい。
TeXが.texから.dviを出すところまで確認して、
X68k購入に踏み切ったのが1988年12月。買ったのはACE初代+外付HDD 10M(!)。
gcc用のccドライバかなんかから作業していって、
だいたいこんな感じのものを作ったかな。
ASK68kのあまりのおばかさ加減に一念発起してT-Codeに移行したのが1989年夏ごろ。
■ '94年にTwinHeadのノートPC(486DX2)を買ったのが「初めてのAT互換機」。 ちなみにOSがバンドルされてなくてFreeBSD1.1.5.1Rを入れた。 これが「初めてのPC-UNIX」。 '97年に初めてのLinuxがSlackwareで、 '98年にLet's note S21、2000年にB5RでRedHat 6.2J、 2002年にB5RをDebian化、とこんなとこかな。 そろそろトラックボールのLet's noteがモデルチェンジしてくれないかな。 夏には冬ボーナス合わせで出るって噂が流れてた気がするんだけどな。
■ そういや、GNUの「stop! UNIX」T-シャツ作りましょうoffなんてのをやったのはいつだ? DIT(当時)のくさかべさんとこまでオープンリールテープ持って行って、 もらってきたのは何だった? TeXだったかな、GNUツール類だったかな。 大学のUNIXでNetHackコンパイルして遊んでたときは、 ファイル名をemacsかなんかにして教官をだましてたつもりだったんだけど、 psすると/home/kaoru/lib/nethackdir/nethackとか丸見えでバレバレだったという(汗)。
■ ごりーさんのとこ読んでて、 中学1年のとき、16進キーボードに音階が印刷されてるマイコンのキットを、 先生に頼まれて(先輩と2人で)何台か作ったのを思い出した。 同じものかな? あー、メーカーとか思い出せない。 7セグLEDが8個あって、プラスチックのケースに入ってた気がする。 作っただけでほとんどさわらなかったんでますます覚えてない。 中学1年ってことは'79年か。ちなみにららぽーと開業は'81。
■ つーことで、あと半年くらいで25周年になるみたいです(TK-80BSをさわったのを起点として)。
■ そういや4月1日にBIT-INNで「テープレコーダ持込禁止」って言われて、 「エイプリルフールでしょ?」「いや、マジ」「ええーっ!」てな感じで となりの富士音響に移動したのを覚えてる。おそらく'79年。
■ 上の方のリンクをたどったら、 そろそろ、年賀状印刷の季節で、だめぐるめを捨てて筆まめを買う決心だったのを思い出した。
■
昨日は南行徳で3DM。
DMB: ポプリ(S) → ツミナガラ/B(A)
DM: Home Girl/E(S) → BRE∀K(S) → CHOCOLATE(S) → 三毛猫ロック/B(S) → Model DD3/B(×)[AK]
DM: 美麗的家郷/E(S) → Kiss Me Good Bye/E(A)[AK] → Fought The Law/E(C)
DD3……モウヤラネーヨ! ウワァァン!!
そういえばギタドラの曲追加キットっていつリリースだっけ。
某スレ読めばわかるかな。
■ ほらー、他人のCSSなんか使うからこんなことになるー(myojinくんがCSSのテキストサイズを1pxに設定したらしい)。 って、Win上のMSIEで見るとちゃんとちっちゃくて読めない字 (X11のunreadableフォントみたいな感じ)になるんだけど、 うちのLinux上のMozillaだとこんなん[png, 16k]になってしまいました。 なんで? xfsとかXサーバが重くなって死ぬかと思った。
■
これだーっ!、 大内淳義、「マイコン入門」、廣済堂出版。
これをねえ、ページがすり切れるまで読みましたですよ。
TK-80を題材にした本で、
Nゲージの貨車入れ換えを制御する話まで乗ってたような気がする。
「マイ・コンピュータをつくる」 安田寿明は、東芝の12bitマイコンを使って自作するやつだったかなあ。白土義男の手ほどきシリーズもディジタル回路とオペアンプ回路を読みましたね。
そうか、ここらへんの年表は「復活! TK-80」を見れば詳しく書いてあるはずだね。間違いとか書いてないかどうかつき合わせてみよう。
■
ラジオ会館のBIT-INNに関する記事。今はもうないのか。って、何で知らなかったんだ。
作ったキットはここらへんと記憶が合うんでMK-40だったようだ。
■ 「ラジオの製作 TK-80」でぐぐると、 ラ製を読んでてTK-80がほしくなった、 でも高くて買ってもらえなかったという、 当時の中学生がたくさんヒットするなあ。
■
「Perlの自然言語原理」(持橋さん訳)に対するしゅがいさんのツッコミ。
ちょっと今、原文(つーかwww.wall.org)がunreachableなので、
Larryの講演とか、やきとり食いながらの雑談などから得た知識でコメントしてみます。おいらは言語学はよく知らないんで、Perl的見地からしか書けませんけど。
以下で前提となってるPerlの構文は作りかけのPerl6なんで、Perl5ではわけわかめかもしれない点に注意。
原文も多分、そういうコンテキストで語られてるんだよね。
そか、こういうときのためのGoogleキャッシュ。
……うむー、Perl4から5に行くときの話か。
■ 喜んでるのは、英語とかその辺の人だけじゃないのかつーのは上の話からすると、わざと。 「are」という予約語を「is」のsynonymにするとか、プログラム言語では普通やらない。 まあ、Perlユーザーの多くは英語を母国語としているだろうから、ユーザーメリットという意義はあると言えるのかもしれない。 そんなにまで英語にこだわる必要があるのかと問い詰めたくなる人もいると思うけど、 実際にLarryと話をすると、もり上がって小一時間で済まないことうけあいなのでぜひ実行してほしい。 実はおいらも英語マンセー的な言語のつくりを便利に感じている一人。 英語圏に住んだことがあるわけじゃないけど、変数名も関数名もヘルプもmanもサンプルプログラムのコメントも英語なのに、語順だけ日本語的だったら混乱するもん。
■
プログラムは普通主語を書かない。
英語圏の人にとっては構文的に命令文の列として解釈するしかないけど、
日本人にとってはむしろ自然。
マニュアルライティングの基本にも「○○するには××を△△してください」とは書かずに、
「〜△△します」と書く、っていうのがあるしね。
判定のメソッド名を「オブジェクトを主語としたときの動詞句」になるようにつける、
という習慣とかルールもときどき見かける。
「isModified」とか「hasChildren」とかする、ってやつ。
これだって、「node.isModified」とか「node.hasChildren」と書いたとき*英語として*読みやすくするための方便。
日本語ならメソッド名を「状態を表わす表現」になるようにつけ、
「ノード.変更済」とか「ノード.子あり」とか書くところ。
まあPerlに限らず、多かれ少なかれ自然言語に引きずられている面はある、
ならもっと取り入れてもいいのでわ、っていうアプローチにも思える。
■ そんで最近の情報。Perl6を理解するには「Tagmemics」というのがいいらしい。 日本語にすると「文法素論」? どなたかこのあたりの解説をしてくれると、とてもうれしいです。 つーか、タグミーミックスの本読まんとあかんかのう。このあたりも気になるな。
■ うーん、結局、しゅがいさんの疑問にはうまく答えられてないような気がする。 ちょっとずれた別の話を展開してしまったかも。
■
金曜日のDM記録を書き忘れてた。
DM5: Tiger, Too(A) → On Our Way/E(S) → Depend CD/E(S)
DM5: Heaven Is A '57/E(S) → Mister Magic/E(A) → Road For Thunder/E(A)
On Our Wayを遊びながら、ふと削除された理由は歌詞に「New Millenium」が出てくるせいかと思ったり。 ← 多分違う
■ 銀のKinesisも出たらしい。黒いやつ入荷してるそうなので買わねば。
■ 昨夜のニュース(森本毅郎と小島奈津子が出てたからフジかな?)で 「インディーズ映画特集」やってて、新海さんが出てました。 ほしのこえって、もう2億円も売り上げたのか。 演じ屋の方でタイムファイヤーとかタイムピンクとかもちょっと出てた。
■ 闇黒日記の11/17分からさいたまサーチエンジン。 さいたまコピペのいろんなバリエーションを検索できると期待したのはおれだけではないはづだっ!!
■ おいらの地道な 活 動の数 々が成果をあげ(←大ウソ)、 ルービックキューブのブーム再来らしい。 天下一品でプレゼントキャンペーンがあったりもしたらしい。