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昨日は10日ぶりで店が閉まる前に南行徳に到着。あ、スティックが音楽用のやつになってる。
というわけで3DM。
Ex.R: Slug(A) → Furi(A) → Heaven(A)
Real: Mondo(S) → Anemones(B) → Classic(A)
Bonus: Primal Long(A)
標準スティックでかなり後ろ側を持つくせがついてて心配したが、
重心との相対位置で合わせるとなんとかなった。
成績はともかく気持ちよくたたけたよ。
■ なんだ、Ace Of Baseって公式ページあったのか。 久しくチェックしない間にアルバム出てたんだな。このページで試聴できるらしい。
■ Tokyo.pmのMLサーバーが止まってるみたいです。 日記鯖上で3月例会の日程を決めましょう。 本当はWeb掲示板でいいんだけどなあ。
■ eric+satyで検索してる人、ジムノペディのエリック・サティは「Erik Satie」ですよ。 Eric RaymondのEricと妙典SATYのSatyで引っかかってここに来ちゃうみたいですねえ。
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私の日記にT-Codeの話が出てこないのは、
あまり面白い発見が起こらないからでしょう。
新しい字が入力できるようになることがない(文字のレパートリーがサチっている)とか、
部首入力の方法を調べたりせず交ぜ書き変換(あるいはかな漢字変換)で入力して
満足してしまっているとか。
「雛まつり」っていうことばがあったとしても、次に入力するのは1年後でしょうし。
今日中にもう1回入力するときはコピペしますし(笑)。
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昨日夕食に出たついでに後楽森ビルのスタバに行ってみた。
ダブルトールアーモンドカプチーノをいただく。いいお味。
しかし会社まで歩いて10分で着かないとなると
お待ち帰りする気になれませぬ。
今日は本郷通りの店に行ってみようかな。地図上の直線距離では同じくらいのようだが……。
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今日は本郷通りのスタバに。おお、学生さんだらけだ(笑)。
トールキャラメルマキアートにエキストラショット2発加えてトリプルにしてもらう。
濃さから言うと昨日とあまり変わらないが、シロップの香りがちょっと負けてるかも。
ダブルでカプチーノにした方がいいかもね。でもダブルトールラテよりは好き。
こっちの店からでも会社までは12分くらい。
テイクアウトして、道中ひと口すすり、またすすりしていたら、
会社に着いたときには飲み終っていた(汗)。
ぼーっと帰ってくるより楽しかったのでそれはそれでよし。
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偏見というよりはやつ当たりでしょうね。
BSDだろうとGPLだろうとライセンスを表示する「責任」は等しくあるわけで、
権利主張しなければ表示責任がないっていうわけじゃないでしょう。
単に表示責任がちゃんと果たせてない人が一定の割合いるというだけですね。
ただ「多い気がする」と言われても、
「そりゃあGPL使う人数が多ければダメ人間の数も多いのでは?」と思いません?
「自分に甘く他人に厳しい」みたいな言い回しを持ち出してるのは、
塩崎さん的でうまいと思っちゃいました。
一部のダメ人間がそうだと言っていて、「GPLが」とは一言も言ってないんですが、
読者には「GPLって自分に甘く他人に厳しいんだあ」みたいな印象が残るでしょ。
いや、残らないかな。そんな印象は意図してないとか言われるかも。
「切れ味鋭い刃物を振りかざす」ってのも、形容としてはうまく当たってないですね。
たばこ屋「FSF」の商品展示室で、一見して誰も喫煙してないからって
「ここは禁煙コーナーに違いない」と身勝手な期待をして裏切られた、
そんな感じじゃないんですか?
結論としての「こういうものは使わないが正しい」には同意。
それなのに塩崎さんの記述に異和感があったので、
昨日からずっと考えてました。
ぐちだとすれば私も日頃から困ってる部分でもあるし、とても共感できる話です。
でも「偏見」と言われてしまうとそれは違うような気がします。
むしろ「偏見?」と3文字書くことによって、
そういう偏見を本当に作り出そうとしてるように見えました。
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!gesを!gemにとありますが、
正規表現中に「(?m)」とか書けばいいです。
「^WASHI\s+(.*)$」はsを外すか.*を.*?にする必要があるでしょうね。
でないと行末ではなく文末(または段落末? 処理単位の末尾)までが対象になってしまいます。
Perlの正規表現のsスイッチとmスイッチは名称が誤解を招きやすいですが、
互いに排他なわけではありません。
sは.が\nにもマッチする、mは文字列の先頭と末尾以外でも^と$が判定される、です。
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休日出勤の出がけにSATYで3DM。
Ex.R: Hypnotica(B) → Captain(C) → Waza(×)
Real: Midnight(C) → Spinning(B) → Carnival(C)
Real: Fly High(S) → Think About You(S) → On Our Way(SS) → Classic2(A)
Ex. Waza落ちた。ずれキックに気を取られてハットが狂うとダメ。
ハットがきちんと取れるときはずれキックは足が勝手にやってくれるのになあ。
Classic2の序盤、何でもないスネアを凡missして、
内心「これが足りなくてEncore出なかったりして」と思っていたところ、
まさしくそのとおりになってしまった。あと1打でSだったのに(泣)。
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帰りに南行徳で2DM。最近「DMやるぞ!」と思わないとできない生活だ……。
Real: Cowgirl(B) → Double Orbit(A) → Happy Man(×)
Ex.R: Slug(B) → Right On(S) → Waza(B)
Real Happy Manがまた落ちた。裏キック難しい。
次の人がExpertをSpeed 1xでやってたのだが、どうも本当のドラマーくさい。
そんな彼でもEx. Happy Manの裏キック地帯前半で落ちそうになっていた。
後半で回復したのはさすが。
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散髪に出たついでにSATYで2GF、2DM。
GFSolo: Primal Long(×)
Ex.R: Powerful Mix(B)
GFSolo: Primal Long(B)
Real: Anemones(B) → Spinning(B) → Cowgirl(A)
ギターのPrimal Long Versionは落ちそうなところが2か所しかないのに、
難しい方の通過率が50%くらいだ(例の3連符地帯)。
ゲージ100%から一気に落とされる。
ハワードの歌が好きで選んでるのだが、それでも落ちるとムカつく。
DMの方はアネモネのノリについていけるようになってきたかな。
■ 家庭用のエスプレッソメーカー(小さいポットみたいな直火にかけるやつ)を買おうと思ったが、 売り切れだったらしい。
■ 猫が脱走。 交通事故でうちに来て以来、腰を痛めてるせいもあって外に出していなかったから、 ちゃんと帰り道がわかるかちと心配。 前の飼い主の方に行っちゃうかな……。
■ 無意識的な悪意についてですが、 悪意ある書き方であることはわかっていたんですが、一応、
「結論」を言いたいがため、の文章ではなかったつもりです。少なくとも中間部分は。 途中の部分で塩崎さんと私とで意見にくい違いがないようですし。
それは私自身が自覚してる私自身の偏見なんで、 そこを「社会的偏見」というようなものと恣意的に混同して私が「作り出そうとして……」と言ったのは、 「おばかな奴らが混同するのを期待してるでしょ」という意味です。 その意味じゃあ、私がワナにハマったというべきか。
■ やっぱり考えすぎですよねえ。 野暮な言いがかりに野暮なお返事をありがとうございます。 そうすると私が感じた違和感っちゅうのは、何だろう。 GPL使いのちゃんとしてない人を、 BSDライセンスをちゃんと使ってる人と比べてると思ったかな。
■ ところでBSDライセンスを使うと自動的にちゃんとする、というか、 原著作者の立場としてGPLより運用が楽なんでしょうか。 GPLの運用が難しい点は、主として二次配布者にあって、 一次配布する者とか二次配布を受ける者ではないような気もするのですが。
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と言ってるところでこういう指摘もあるしなあ。
その「画像処理ライブラリ」のAPIがちゃんと公開されていて、
「自由な」alternativeが開発できるのならOKかと思います。
このフィルタがその条件を満たしていない場合、
もらった形態そのままでの配布はGPLで禁止されるということになるのかな。
原著作者からの配布はなんでもありですから、
一次配布自体がGPLに適合しなくてもそれがどうしたと言えそうです。
いずれにせよ、このフィルタプログラムからバイナリonlyライブラリーに
依存しないderivative workを作った場合はGPLで配布できます。
■ 「合法的にもらったものをas isに再配布できない」ものにはGPLを適用してはいかーんというのは、 GPL自体ではコントロールされていませんね。 GPLが商標になったりしていれば規制できるかもしれませんが。
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なぜGPLを選ぶのか。
私の場合、若いときは(笑)、Copyleftに純粋に賛同してたから。
GPLを知る前は「Public Domain」にしていた。
Perlを知るころから状況が変わって、純粋にオリジナルなものを作る機会がなくなった。
つまり、Emacs Lispで書いたりPerlでコード書いたりすると、
配布ライセンスとして自然なものが自ずと決まってくるわけです。
ELispならGPL、Perlスクリプトなら「Perlと同じ(i.e. GPL or Artistic)」。
同じように、自分のところでライセンスを変更する理由がないから、
という人は少なからずいるんじゃないかな。
■ 思想的にはCopyleftに*も*賛同する者ですが、生きてく上ではそれだけではやっていけないと。 食いぶちのために思想を売り渡すもまた、トレードオフのひとつと思っとります。
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ところでlinux/include/linux/*は「GPL的には知らんがLinux的にはOK」、
また、カーネルモジュールは「GPL的にはダメだがLinux的にはOK」ってことではなかったか。
GPLとは別にLinusが設定した例外条件(README)が効いてるらしい。
とはいえ「Linux的にOKなんだからGPLなんか気にするな」と言っていると、
Linux以外のGPLなincludeでコンパイルしたときGPLに落ちてしまうかも
(そんなシステムあるのかは別にして)。
とにかく、Linuxカーネル一味はGPLとは区別して考えないといかんす。
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それです。
実は私にはなんでそれでは不十分なのかよくわからんのですけども。
「LinuxカーネルはGPLであり、
同時にLinusがREADMEでGPLとは別に許可したライセンス(標準のシステムコールを使うだけではderived workにならない)も合わせ持つ」ということでしょう。
だから、linux/include/linux/*は明確にGPLだし、
Linuxカーネル上の標準アプリケーションをコンパイルするためにこれらをincludeする場合に限っては、
GPLで言うところのderivative workにならないという格別の許可を著作権者から得たことになります。
変な解釈ですか? FSFが「Linusがあんなことを言うからわしらは悲しいよ」なんて言ってるようですから、かなり真相に近いと思うのですけど。
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それで結局、「Linuxカーネルに対する標準アプリケーション」以外では明確にGPLなわけですから、
例えば他のOS上で動かすソフトに使おうと思うと、
そのソフト全体がGPLしか選択できなくなります。これは疑いの余地がないと思う。
linux/include/linux/*がそれ自体として「GPLではない」ってことはLinusも私も言ってないし、
「GPLでない」はウソ。
「カーネルの一部ではないがlinux/include/linux/*にあるalsaのヘッダはどう?」とかいう別の問題はあるかもしれん。
■ GPL以外のライセンスを使おうとしない人達にとっては興味のない話かもしれづ。
■ なお、これだけでは、 「もしこの格別の許可がなかったとしたら、Linux上のアプリで標準システムコールを使うためのincludeはダメなのか」は自明ではないと思う。 昨日「GPL的には知らんが」と書いたのはそういう意味。 LinusのREADMEがGPL的な判断の必要をなくしている → 誰もGPL的な判断をしようとしていない、 ということでしょう。
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昨日は大家さんのお通夜に出るため会社を早退。ちと時間あったのでSATYで1DM。
Ex.R: Furi(A) → Get You(A) → Cowgirl(×)
だからCowgirlはもっとRealで修業しろって。
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なるほど、そういう意味ですか。
となると問題は難しいですねえ。
でも「互換のincludeを書けばよい」はLinuxカーネルに限らず一般的な話です。
Linusがその意味で言ったんだとすると、ことさら新たな宣言をしたことにならないですね。
「linux/include/linux*のコード自体がGenuine GPLか例外条項つきGPLか」という問題と、
「Linuxカーネルのシステムコールを使うために、
Linuxカーネルのincludeを読み込むと、
できたものはderivative workか」という問題とは別の問題だと思います。
Linusは後者に関してのみ宣言した、ということと思っています。
「normal use」を素直に解釈すればこうなるでしょう。
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重箱の隅突きかというと、どうでしょう。
「GPLソフトで使う場合」と「Linuxカーネルのシステムコールを使う場合」とではOKがわかっているので、
それ以外のことをやろうという人達にとってだけ、問題が残っているのですよね。
それは重箱の隅というより、重箱の外ではないかしらん。
libstdc++に関しては重箱の中ですからつついてあげて直させないといかんです。
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このような現状でプログラミングするという前提で考えると、
BSDライセンスで出そうとするとこれらの問題を全部クリアしないと
権利主張に対する責任を全うできない、
GPLで出せばこれらの問題を考えなくてすむ(すでにある問題に転嫁できる)、となるのでは。
GPLを回避したい人は、使うライブラリを慎重に選択する必要があって、
それはその人の責任になる。
とすると、今からソフトウェアを公開しようという人に対しては
「BSDライセンスだと権利主張に対する責任を全うするのがGPLと比べて楽」ということは言えず、
むしろGPLの方が楽なのでしょう。
元はといえばGPLに例外条項を足したりしたやつがいいかげんだったせいなのですが、
それは「うまく(あるいはずるく)ヤラレタ」と思えばよいのではないでしょうか。
■ GPLの存在意義というかCopyleftの出発点は「ソフトは自由にしたい。性善説に身を委ねるおおらかさと他人のderived worksに対する寛容さをよりどころとすることはできない」ということなのですから、 「みんな出発点に戻ってGPLの意義から考え直そうよ」ということになると思います。 それは別段アンフェアではないと思います。
■ やはりGPLや「いいかげんな例外条件つきGPL」の便利なツール群を前にして、 それらを使いたいという誘惑にうち勝てる人だけがBSDライセンスを名乗れるっつーか。 そういう誇り(があるとして)は価値あることだと思うし、応援します。 でも、そういうエネルギーが必要な状況において「安易に付けるんならBSDライセンスのほうが実害が少ないよ」って言っちゃうのは、アンフェアなのではなかろうか。
■ 私はそういう部分のエネルギーが足りないので、会社にコード公開させるとか、 Linux OS上でnon-GPLなソフトを自分で出そうとか会社に出させようとかは できずにいます。
■ 脱走してた猫が帰還。 縁側の下に隠れていたらしい。もしかして1日半、ずっとそこにいた? おみやげ(笑)にノミをたくさんつけて帰ってきて、ヨメ激怒。 ま、わが家をおうちと認めてくれたってことで機嫌なおせ。
■ ちょっと取ってみてという場合、 配布というより、開発チームの内部テストなのでは。
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混ぜるな危険、まったくです。
結局のところ、ライセンスが相反するためにリンクできない組合せは結構あると思います。
どっちかがライセンスを変更することで解決されたか、
解決されないままかなんでしょう。
結局は混ぜらんない不自由と、派生物が使えなくなる不自由のトレードオフでしょう。
不幸なことだけど、基本的な思想が異なるものは混ぜないほうが無難。
原著作者から「○○およびその後継に限りOK」っていう許可をもらったらOKなんすかね?